2014年9月5日金曜日

終わったこと


  • 祖母の葬式の時に、飛んできた母の友人は二人だった。
    一人は大学時代の同級生、もう一人は私が幼稚園に行っていたときからのいわゆるママ友。
    同級生はいつものように軽い調子で悪口を言いながらお通夜から火葬場までずっと着いてきた。
    ママ友は私の顔を見て「あなたがしっかりするのよ」と言って、泣いた。
    あれは、祖母のためでめもなく、私のためでもなく、母のために飛んできて悪口を言い、泣いたのだ。
    その時から、誰でも一生のうちで出来る本当の友達というのは多分、二人くらいなんじゃないかと思っている。
  • 叶姉妹の妹・美香さんをとても尊敬している。
    この間美香さんの著書をネットで注文して読んでみたのだけど、案の定優しそうな顔をして相当なバイタリティ溢れるやり手ウーマンだった。
    もう一人心から尊敬しているのが元内閣総理大臣秘書官・現内閣官房参与である飯島勲氏である。
    二人の共通点はまず見た目からして只者ではないということと、もう一点、気遣い、気配り、根回し、そういういわゆるマネジメント能力が神がかっているということだ。
    私は出来るだけ人に気配りの出来る人間でありたいと思っている。
    そしてそれが善意から出てくるものなら最高だと思っている。
    優しい気持ちで他人について配慮出来るのは、この世で一番幸せなことだ。
    そんなことが出来るのは自分自身に余裕のある証拠だ。
    26歳の時、小さいころから同居していた祖母を亡くし、3ヶ月後に、3歳の時から会っていない実の父親の訃報を受けた。
    祖母の死は純粋に悲しかった(悲しすぎて、1年ほど経たないと涙も出なかった)し、父親についてはやはり複雑な思いを抱えながら生きて来たので、突然の知らせに今まで受けたことのないようなショックを受けた。
    そしてそれから半年。母が大腸がんで入院した。
    この時、恐らく、まだ若い当時の私が耐えうる極限まで精神的に追い詰められ、今まで感じたことのない邪悪な感情に包まれた。
    穏やかに暮らす周りの人間が本気で憎かった。
    娘に連れられて大腸ポリープを取る簡単な手術をしている知らないおばさんを見て、この人が代わりに死ねば良かった、何で私の家族ばかり深刻な病気にならねばならないのだと思った。
    楽しそうに暮らす友人の様子を窺い知ると、不幸になれと願った。
    そういう気持ちになったのは生まれて初めてだったので、今でも生々しく覚えている。
    恥ずかしい状態だが、あの時の自分を恥ずかしいとは思わない。恐らく人間とはそういうものだ。
    いや、わからないけど。とにかく、私に関してはその程度には性格が卑しかった。
    だからその時、強く思った。
    人に優しい気持ちでいられるのは何より幸せなことであると。
    だから、私からは、上の二人は、とてもとても幸せな人のように見える。
    もちろん私には私なりの器があるのでそんな大したことは出来ないと思うけど、余裕がある限り、出来るだけいろんなことや人に気を回したいと思っている。
  • 上に書いた出来事について、改めて、自分はこういうことがあっても平気だったのだなあ、とぼんやり思う。
    それは、幼いころから一緒に暮らす家族がポロポロ欠けて行ったから、とか上のことがあったから、とかではなく、多分、元々の性格なのだ。
    ごく幼い頃から自分の実家については仮住まいみたいな気持ちというか「でも、みんな私より早く死ぬし」というようなことを思っていたし、実際大体死んだ。(ちなみに母親は手術を受け、全快し、元気に生きてます)
    自分の居場所がどこかにあるのかもしれない、とかそういうことも思わない。
    結婚してからもそれは変わらない。
    夫や今の家が自分の居場所だとは思わない。
    というか、自分より早く無くなる可能性のあるものを、居場所だとは思えない。
    でも、最近気付いたのだけど夫は違う。何か拠り所が必要なタイプなのだ。
    自分がそういうことを思わないから全然気付かなかったけど、この人は私を必要としている。
    なんていうか電流が走った。そして燃えた。
    必ずやこの人を看取るぞ、あと生きてる間は幸せに暮らすぞと。
    そして同時に、自分は、逆に、誰かに必要とされないと生きて行けないタイプなのだとも気付いた。
    女は元々そういう人が多いのかも。母は強しというのはきっとそういうことだ。
    今まで誰かと一緒にいて、必要とされたことも必要としたこともあったと思うけど、多分、あの人たちにとって、私は、私じゃなくても良かった。
    でも、何故か、夫については、変人だからかもしれないけど、私じゃなきゃ誰がこの人の傍にいられるんだ、私がいなくなったらこの人はどうなってしまうんだ、と本気で思う。
    そしてそんなことを私に対して思ってくれる人は、彼しかいないのだ。多分。
    夫には見つけてくれてありがとうと、あなたがいるから私は強く生きて行けますと心から思っている。

    母は強し、であるとするならば、女の愛には責任が伴うに違いない。
  • 色々書いたけど、今は結婚や引っ越しで環境が変わり、他人だった人と一緒に生きるようになって初めて認識出来る自分の低レベルさというものをひしひし感じながら、生きている。
    それにより、変わったところもたくさんある。
    もう、若くして誰かを失うことで新しくわかることも、成長することも、ないと思う。